
突然の坐骨神経痛で店頭に立てなくなった50代店長が語る、痛み・不安・感謝の日々。回復までの記録と支えてくれた人々への思いを綴ります。
「あれ?これはマズいかも…」
最初にそう感じたのは、店のバックヤードで荷物を持ち上げた瞬間でした。
腰の奥がギクリと嫌な音を立てたような気がしたのです。その日はなんとか業務をこなしましたが、夜になってから次第に違和感が痛みに変わっていきました。
そして翌朝、ベッドから起き上がるのに10分以上かかりました。
座ろうとすると、電気のような痛みが脚にまで走る。横になっていても、角度によってはビリビリと神経が暴れる。
病院で診断されたのは、「坐骨神経痛(椎間板ヘルニア)」でした。
まさか自分が、と思いました。
店頭に立てない日々
それからというもの、店頭に立つどころか、家の中を歩くことすら困難になりました。
食卓の椅子に座れない。
トイレに座れない。
風呂の椅子に腰かけるのすら怖い。
座るという行為が、ここまで苦痛に感じる日が来るとは思ってもいませんでした。
誰かと一緒に食卓を囲む時間や、テレビを見ながらのんびり過ごす時間など、日常の何気ない場面がことごとく奪われていくのです。
坐骨神経痛というのは、ただの腰の痛みではなく、神経そのものに炎症や圧迫が起こるため、動作のたびに激しい痛みが走るのです。
立っていても辛い。かといって横になっても痛い。
そんな状態が続くと、気力まで奪われてしまいます。
以前にも同じ症状で2か月ほど店を休んだことがあります。
そのときも辛かったのですが、あの時はまだ若さがあったのか、回復までの期間をもう少し楽観的に受け止められていた気がします。
しかし今回は、単なる再発というよりも「体の限界を告げるサイン」のように感じられてしまって。
長期戦を覚悟しなければいけないという現実が、じわじわと心に重くのしかかってきました。
周囲の助けや、家族の理解がなければとても乗り切れなかったと思います。
時間だけが過ぎていく中、ふと気がつけば、坐骨神経痛で戦線離脱してから1ヶ月が経過していました。
その1ヶ月は、とても長く感じましたが、同時に今までの自分の生活がいかに健康に支えられていたかを見つめ直す時間でもありました。
一進一退の回復
現在の状態を数字で表すと、発症時をマイナス100とすれば、ようやくマイナス70くらいまで回復してきました。
ただ、その道のりはまさに"一進一退"。
毎日1ミリずつ良くなっているような実感があるかと思えば、翌日には0.5ミリ戻っているような感覚。
時には、ほんの少し無理をしただけで翌日に痛みがぶり返して、"また振り出しに戻ったのでは"と気持ちが沈むこともあります。
とはいえ、全体としては少しずつ良くなっているという実感もあります。
1週間前と比べれば、痛みの強さや頻度は確かに減ってきている。
朝起きたときの身体のこわばりも軽くなってきていて、日中の動きもほんの少しだけラクになったような気がします。
「焦らずに、でも諦めずに」
この言葉を、毎朝自分に言い聞かせながら生活しています。
前は何も考えずに動けたことが、今では小さな挑戦。だからこそ、一つ一つの変化を見逃さず、ポジティブに捉えることが大切だと痛感しています。
最近では、ネットや本で坐骨神経痛やヘルニアに効くというストレッチやリハビリ法を調べて、少しずつ自宅で実践も始めました。
もちろん無理は禁物ですが、自分の体と対話しながら、できる範囲で改善を目指しています。
もしこの記事を読んでいる方の中に、実際に効果を感じた治療法や対策があれば、ぜひ教えていただけたら嬉しいです。
本当に、一筋の光でもありがたい。わらにもすがる思いというのは、こういうことを言うのでしょうね。
追い打ちのような母の入院
そんな中、今度は母が足腰の痛みで動けなくなり、入院することになりました。
ある日突然、立ち上がれなくなってしまったのです。
家族で話し合った結果、病院に連れて行こうということになったのですが、車椅子もなく、とても自力では連れて行けない。私は腰の痛みで動けない。
最終的には、救急車を呼ぶことにしました。
直接119番に電話し、状況を伝えると「すぐに向かいます」との返事。
ただ、母には希望する病院があり、そこを指定できるのかを尋ねたところ、それは不可能とのことでした。
受け入れの状況次第で、必ずしも希望通りの病院に行けるわけではないとのこと。
「救急車はタクシーではありません」
言われてみればその通りです。
最終的には妻がなんとか車を出して、母を希望の病院まで連れていってくれました。
救急車に乗らない人生に感謝
私はまだ一度も救急車に乗ったことがありません。
子どものころは、赤色灯を回しながら走る救急車がなんだか特別な乗り物のように見えて、「一度くらい乗ってみたいな」なんて、無邪気に思ったものです。
もちろん当時は、その意味するところも重大さも理解していなかったので、ただの興味本位でした。
若い頃になっても、周囲の友人や知人の中には交通事故や急な体調不良で救急車のお世話になる人もいましたが、自分は不思議とそうした機会が一度もなかったのです。
冗談まじりに「乗ったことないんだよね」と言うと、「それは幸せなことだよ」と返されたこともありました。
その時はピンときませんでしたが、今ではその言葉の重みがよくわかります。
年齢を重ね、病気や体の不調を身近に感じるようになった今だからこそ、「救急車に乗ったことがない人生」は、当たり前じゃなく、とてもありがたいことなのだと強く思います。
これからも、できればその記録を更新し続けたい。
そう思わせてくれるだけでも、健康のありがたみを再認識させられます。
支えてくれるスタッフに感謝
気がつけば、私はもう1ヶ月近く店舗を離れています。
体が思うように動かず、電話やLINEでしかやり取りできない日々が続きました。
その間、店の状況がどうなっているのか、売上は?トラブルは起きていないか?と心配する気持ちは尽きませんでした。
けれど、そんな私の不安をよそに、スタッフたちは見事に店を守ってくれていました。
特に年末年始という、ただでさえ忙しく、変化も多い時期。シフト調整も難航するなか、誰一人文句を言うことなく、いつも通りの笑顔と対応でお客様を迎えてくれていたようです。
「困ったことがあれば連絡して」と伝えていたのに、私のもとにはほとんどSOSが届くことはありませんでした。
あとで聞いた話では、多少のトラブルもあったようですが、それすらスタッフ同士で解決し、見事に乗り切ってくれたとのこと。
これほど頼もしい仲間たちに囲まれていたことを、改めて誇りに思いました。
「ありがとう」
この言葉だけでは到底足りません。
本当は、一人ひとりの顔を見て、しっかり頭を下げて伝えたい。
私が安心して療養に専念できたのは、皆さんのおかげです。店舗という現場は、人の力で支えられている。そのことを、私は今回強く実感しました。
そしてまたいつか、元気な姿で皆さんと一緒に、笑って仕事ができる日を心待ちにしています。
そして、少しずつでも前へ
健康を失うと、日常のすべてが崩れてしまう。
それを実感した1ヶ月でした。痛みで思うように動けず、仕事はもちろん、家庭の中でもできないことが増え、無力感に苛まれる日々。
ちょっとした動作にすら神経を使い、気づけば心まで疲れている自分がいました。
でも、そんな中でも少しずつ光は差してきます。
朝起きるときに昨日よりもスムーズに立てたとか、ふとした瞬間に痛みを感じなかった時間があったとか、回復の兆しは本当にささやかなものです。
それでも、それがとても嬉しくて、心の支えになります。
人生には停滞しているように見える時期が必ずあります。
けれど、止まっているように見えるその時期こそが、実は次に踏み出す力を蓄えている時間なのかもしれません。
店に戻るその日まで、焦らず、でも諦めず、一歩一歩進んでいこうと思います。
前のように働ける日がまた訪れると信じて。
そしてその時には、きっと今まで見過ごしていた何気ない瞬間に、より深い感謝ができるようになっている気がします。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。